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八甲田山麓の冷涼な気候の中でゆっくり育つ、おいしいお米

山田ふぁーむ

青森県青森市

山田ふぁーむのお米は極力化学肥料や農薬を使わずに栽培しています。化学肥料や農薬に頼り、反収(10アール当たり)10俵以上とれる慣行農法と比べると、収量は4 ~ 5割減です。それが、安全・安心、そして何よりもおいしさを最優先に考える山田ふぁーむの適正値です。

「仕事も遊びも全力で楽しみたい!」
そう願うファーマーが育てるおいしいお米とは。
『山田ふぁーむ』生産者・山田正樹さん、五月さん

日本でも有数の降雪量を記録する青森市。「山田ふぁーむ」はそのミネラル豊富な雪解け水を利用し、30ヘクタールに及ぶ圃場で米農家を営んでいます。代表の山田正樹さんとともに汗を流すのは、妻の五月さんと2人の息子さんたちです。

「稲との対話が大切なんです」と語る正樹さんは、毎日4時間をかけて広大な圃場を見て回り、水の管理をしながら稲の状態を確かめます。何を必要としているのか、どのように育とうとしているのか   。稲の声に耳を傾けながら育てるお米は、多くの購入者から「これまで食べた中で一番おいしい!」と評判です。

“収穫量よりもおいしさ”を追求する山田ふぁーむのこだわりは、化学肥料や農薬を極力控える丁寧なお米作り。さらに、ソラミドごはんでお取り扱い中の特別栽培米『青天の霹靂』『あきたこまち』『紫黒米』『国産リゾット米』は、主に自家製の有機肥料を使用し栽培されています。

農業に情熱を注ぐ一方、夢中になれる楽しみも大切にしている正樹さんは、夏はファーマー、冬はお米の新たな取引先の営業を兼ね、全国を行脚する旅を楽しんでいます。

どんな思いでお米作りに向き合い、また未来の農業にどんな姿を思い描いているのか、山田さんご夫妻に詳しくお聞きしました。

脱サラして挑戦した、1年に1回限りのお米作り

山田ふぁーむが定期的に発行している「さつき便り」。日々のお米作りや暮らしの様子を写真とともに伝えているこのお便りですが、2月末に発行された最新号では、数日前に降った大雪の話題が目を引きます。

(正樹さん)
「連日、全国ニュースでも青森の大雪が報道されていますが、この冬は例年になく雪が多いんです。ここまで降ると災害と言っていいほど。バスも在来線も止まってしまい、まともに動いているのは新幹線だけという日もあります」

青森市は、都市部としては世界でも有数の豪雪地帯。雪解けが始まるのは、例年3月中旬以降といいます。ただこの雪は、お米作りに欠かせない「水」となって田畑を潤します。山に降り積もった雪がゆっくりと溶けて流れ出すことで田んぼに安定した水が供給され、特に八甲田山系から流れる雪解け水は、この地のお米作りにとって大きな恵みです。

さらにこの一帯は、夏でも冷涼で病害虫の発生が少ないため、農薬の使用を抑えた高品質のお米が育ちます。こうした自然環境の中で、山田ふぁーむのお米作りは行われているのです。

山田さんご夫妻は現在、息子さんと義理の息子さんとともにお米作りに取り組んでいます。東京ドーム約6個分に相当する田んぼでは、青森県のブランド米「青天の霹靂」や「あきたこまち」のほか、古代米の「紫黒米」、「国産リゾット米」まで多彩な品種が栽培されています。

とはいえ、農家の6代目当主としてお米作りを受け継ぐ正樹さんは、最初からこの道を歩んでいたわけではありません。東京の大学を卒業した後は、そのまま東京の商社に勤務。都会での生活に疑問を感じ家族で青森に帰郷してからも、しばらくは広告代理店に勤めながら、「手伝い」という立場でお米作りに関わっていたといいます。

(正樹さん)
「農家を継ぐつもりはなかったんです。その頃は父も現役でしたし、自分は別の仕事を続けようと考えていました。
ですが2011年の東日本大震災で、担当していた岩手県の百貨店が大きなダメージを受け仕事が激減。農業の知識を少なからず持っていたこともあり、それを機に農業関連の広告営業に関わるようになったんです。そうしたら、思いがけずお米作りのおもしろさに惹かれていって。私も専業農家としてやっていけるんじゃないかと思うようになりました」

その背景には、正樹さんの背中を押すもう一つの理由があったようです。

(五月さん)
「まだ父を手伝っていた頃、お米の価格が暴落した年があったんです。そのとき、農協を通さず直接お米を購入してくれる人を探そうとママ友たちに声をかけてみると、思いのほか反応が良くて。しかも、私たちが当たり前に食べているお米が“おいしい”と評判になり、少しずつ購入者が増えていったんです。震災の頃には、収穫したすべてのお米を直接販売できるようになっていました」

さらに評判とともに広がったのが、「さつき米」というオリジナルのブランド名。いつの頃からか、お客様が『さつき米くださーい!』と買いに来るようになったことから、山田ふぁーむのお米は「さつき米」の名で親しまれるようになります。「“山田米”でも“まさき米”でもなく“さつき米”。最初は、どうして私の名前じゃないんだ!って思ったものですよ」。そう笑いながら話す正樹さんは、当時を振り返りながら続けます。

(正樹さん)
「専業農家になりたいと妻に話したときには、『あと3年待って』と言われたんです。当時は4人の子どもたちに教育費がかかる時期でしたし、圃場も東京ドーム1個にも満たない規模でしたから。
でも考えてみれば、稲作は1年に1回しかできない。50歳を過ぎていた私からすると、仮に70歳まで続けたとしても、お米を作れるのは20回足らずでしょ。だから、決心するなら今だって思ったんです」

その後、友人の書道家に依頼して仕上げた「さつき米」のステッカー、さらに娘さんが手描きでデザインした「山田ふぁーむ」のロゴマークを完成させ、正樹さんは脱サラ。2013年、五月さんとともに米農家としてスタートを切りました。

あえて選んだ、“収穫量よりもおいしさを求める”という道

お米のおいしさには定評があったものの、就農にあたってその根拠を確かめたいと考えた正樹さんは、日本最大級の米コンテスト「米・食味分析鑑定コンクール」にコシヒカリを出品します。結果は、特別優秀賞受賞。これは青森県でも初、北東北でも初となる快挙でした。

(正樹さん)
「10月に就農して、コンクールの結果が出たのが11月。出品自体が締切の3日前という慌ただしさだったので、ご先祖様が導いてくれたんじゃないかと感じましたね。
なにより、自分たちが普段から作っているお米が“食味”という観点から科学的に分析され、高い評価をいただいた。これは大きな自信につながりました」

さらにこの経験は、“収穫量よりもおいしさを追求する”という方向性を導き出します。一般的に、収穫量を増やすためには化学肥料や農薬を多く使用する傾向がありますが、山田ふぁーむはあえてその逆を選択したのです。

(正樹さん)
「収穫量を増やそうとすると、どうしてもおいしいお米が育たない。全国各地の有名なお米はほとんど食べてきましたが、これは明らかな事実です。でも、食べ物はおいしさが一番。
だから、化学肥料や農薬は極力使いません。特別栽培米を育てる場合には、籾殻や米ぬかで作ったぼかし堆肥を中心とした自家製の有機肥料を使用しています」

しかし、お米作りは単純なものではありません。前年の出来をもとに仮説を立て、翌年の栽培計画を組み立ていく。それでも、自然相手の農業は思い通りに進まないこともあるといいます。

(正樹さん)
「地域によって環境や気象条件が違うので、農業には“これさえあれば成功する”という確実な方法がないんです。そのなかで、経験をもとに“おそらくこうだろう”と予想しながら作っていく。
だからこそ、うまく行ったときには本当に嬉しい。その達成感があるから、米作りは楽しくて辞められません」

そんな正樹さんが毎日欠かさないのが、水の管理です。田んぼを一枚一枚歩いて回り、水が少なければ引き込み、多ければ抜いて調整する。その作業は朝晩合わせて4時間にも及ぶそうです。

(正樹さん)
「大切なのは、稲との対話なんです。水管理を含め成長の過程を常に観察していないと、稲が何を伝えようとしているのかが分かりません。ただ、『何がほしい?どうしたい?』と問いかけるうちに、不思議と話ができるようになるんです」

子育てと同じように、相手が何を求めているかを感じ取れるまで観察を続ける。その姿勢こそが、山田ふぁーむの真摯なお米作りの礎となっています。

春には種もみの準備、苗づくり、田植えと作業が始まります。農業は一年を通して多くの工程があり、手間と時間をかけてこそ、ようやく一粒のおいしいお米が実るのです。

山田ふぁーむの信念を若い世代にもつないでいく

日本の農業は今、深刻な岐路に立っています。水稲農家の平均年齢は70代に達し、離農者は年々増加。特に山間部の小さな田んぼは、担い手がいなくなれば耕作放棄地となり山に還るだけ、という現実が突きつけられてます。国の支援策はあるものの、離農のスピードには追いついていないというのが正樹さんの実感です。

そうしたなかで、山田ふぁーむでは若い世代がお米作りを支えています。

(五月さん)
「この地域でも若者が農業をやっているところは少ないですね。うちのように、20代の息子たちと一緒にお米を作る農家は、とても珍しいと思います。
毎朝のミーティングでは、各自の作業を確認するのが日課。今週末には、義理の息子に今期の栽培計画を発表してもらう予定です。彼も東京で仕事をしていましたが、青森に戻って山田ふぁーむの一員として頑張ってくれています。本当にありがたいですね」

若い世代とお米作りを続けることに、喜びを感じる五月さん。ただそこには、お客様の期待に応えるおいしいお米を届ける、という揺るぎない覚悟も伴います。

(五月さん)
「うちのお米は決して安くありません。それでも購入してくださる方がいるのは、私たちのお米作りを理解していただいているからこそです。
これから若い2人にバトンを渡すには、“収穫量よりもおいしさを追求する”という姿勢もしっかり伝えていかなければと思っています」

農業のある人生を豊かに生きたい

正樹さんには、ユニークな夢があります。それは、常夏の島ハワイでお米作りを実現すること。荒唐無稽に聞こえるかもしれませんが、笑顔で語る正樹さんの表情からは、本気の思いが伝わってきます。

(正樹さん)
「雨が多くて水は十分にありますし、昔は日系の人たちが稲作をしていた歴史があるので、やろうと思えばできるはずなんです。3月にハワイへ行って田植えをするなんて、想像するだけでも楽しいでしょ。しかも現地で遊ぶこともできる(笑)。いつかハワイ事業部ができたら…なんて考えています」

農業を生業とする人生を、どう豊かに過ごすのか。この発想の根底には、農業に対する確固たる哲学があるようです。

(正樹さん)
「圃場をどんどん広げて規模拡大に縛られていると、一生働き続けることになります。日本トップレベルの大規模農家を見ると、大きな機械はたくさんあっても、いつ休んでいるのか、趣味はあるのかって思うんです。
働いて収入を得たのなら、遊ぶことも必要。農業を始めてみると、意外と自由な時間も増えるんです。その自営業ならではの良さを、味わうべきではないでしょうか。そうでないと、農業に挑戦してみたいと思う若者は増えません」

実際正樹さんは、夏はファーマー、冬は新規取引先の営業を兼ねた旅行を楽しみ、ボーカリストとしてライブ活動もする正樹さんは、夢中になれる楽しみを持ちながらこれまで農業を続けてきたのです。仕事と遊びを両立させてきた姿勢は、まさに正樹さんの農業観を体現しています。

規模拡大を追い求めるのではなく、豊かな農業人生のあり方を示すこと。それもまた、山田ふぁーむが果たしている社会的な役割の一つなのかもしれません。

お米作りに真摯に向き合いながらも、人生そのものを楽しむ。山田ふぁーむは、そんな農業の新しい可能性を示しながら、今日も青森の地でお米作りを続けています。

取材・執筆:福島和加子
写真提供:山田ふぁーむ