一粒の赤米が、まちをつなぐ。国分寺赤米プロジェクトの物語

東京のまちの片隅で、赤く実る稲穂があります。
その名も「武蔵国分寺種赤米」。縄文の昔に日本へ伝わったとされる古代米の一種です。1997年に国分寺で偶然見つかってから、いまは市民たちの手で育てられています。
この取り組みを続けている「国分寺赤米プロジェクト」にお話を伺うと、そこには赤米を育てることを通して見えてきた、自然やまちとの新しいつながりがありました。
国分寺赤米プロジェクト とは
2018年より国分寺市内および周辺の土地で、在来種「武蔵国分寺種赤米(あかごめ)」を育てる団体。
水田だけでなく陸稲でも栽培し、自然と共存する自然農の考え方を大切にしている。
武蔵国分寺種赤米は、縄文時代に日本へ伝わったとされる古代米の一種で、むかしの稲の特徴を色濃く残す貴重な品種。
お話を伺ったメンバー
前澤さん

コロナ禍の2021年から参加。2023年の市民団体化後は、田畑での作業のほか、チーム内外での調整、広報などを担う。
大石さん

プロジェクト初期から関わり、田畑での作業の傍ら地域のハブ役となり、市内小学校への出前授業を通して子どもたちへの食育にも携わる。
角出さん

システム系の仕事のかたわら参加。田畑での作業に加えてHP更新や定例ミーティングの設定・議事録作成など、活動の裏側を支えている。
※この記事は2025年11月時点の取材内容です。
古代米・赤米とは?


「赤米(あかごめ)」は、古代米と呼ばれるお米のひとつです。
古代米とは、昔の稲が持っていた特徴を色濃く残すお米のことで、赤米は縄文時代に日本へ伝わった最初の稲と考えられています。
かつては日本各地で栽培されていましたが、明治時代以降の品種改良が進むなかで、栽培の難しさや味の好みの変化から次第に姿を消していきました。
長いあいだ“幻の米”と呼ばれてきた赤米ですが、1997年、東京都国分寺市・東恋ヶ窪の畑で、品種改良されていない原種の種籾が偶然見つかります。
調査の結果、それまで知られていなかった新しい品種の赤米であることがわかり、「武蔵国分寺種赤米」と名づけられました。
縄文の時代から続くいのちの記憶が、東京のまちの一角で静かに息を吹き返す。その小さな発見が、いまへと続く物語のはじまりです。
一粒への想いからまちのプロジェクトへ

「国分寺赤米プロジェクト」は、ひとりの純粋な想いと行動から始まりました。
2017年、国分寺市に「胡桃堂喫茶店」がオープン。スタッフの坂本浩史朗さんがお店の掲げる理想を叶えるべく、食事メニューとして提供するお米も自分たちで栽培することに挑戦しようと決意したのがきっかけでした。
坂本さんがいろんな農家さんを当たっていく中で、この「武蔵国分寺種赤米」に行き着いたんです。
畑でも栽培できる赤米との出会いが、活動の原点になりました。
最初はお店の取り組みとして始まりましたが、都市部の自然や古き良き習慣を守るため、地域のため、と坂本さんが奔走するうちに、少しずつ関わる仲間が増えていきました。2023年からは、市民団体という形で活動が続いています。
いまでは、仕事も年齢もさまざまな人たちが畑に集い、苗を植え、草を刈り、収穫を喜び合う。自然と人、そしてまちがゆるやかにつながりながら、赤米のいのちは今日も受け継がれています。
赤米を育てるまちの仲間たち

活動の輪は、少しずつ広がっていきました。
現在は約20名のメンバーが、それぞれのペースでプロジェクトに関わっています。
農業の専門家はいないものの、職業や年齢の違いをこえて同じ畑に集う仲間が少しずつ増えていきました。
渉外も担当する前澤さんは、土に触れる時間の心地よさと、地域とのつながりを語ります。
自然の中で黙々と手を動かす時間が心地よいんです。作るだけで終わらず、赤米を通じて地域とつながれるのがやりがいですね。
角出さんは、システム系の仕事のかたわら、ホームページの更新を担当。
普段はパソコン仕事なので、手を使って作業するのが新鮮で集中できます。地元で見つかった貴重な赤米を、きちんと残していきたいですね。
獣医の大石さんは、現場の取りまとめや学校授業にも携わっています。
学校と一緒に赤米を育てたり、子どもたちにお米の話をしたりする機会が増えました。地域の中でそういうつながりができたのがうれしいですね。
プロジェクトの特徴は、自然に寄り添う姿勢にも表れています。
プラスチック資材をできるだけ使わず、その場にある草を敷いて土の水分を保ったり、竹で支柱や柵をつくったりと、自然に対して無理のないやり方を続けています。
なるべくその場にあるものを使います。自然の中で無理なく育てるのが、私たちのやり方です。
気候の変化と続ける覚悟

夏の暑さが年々厳しくなり、赤米を取り巻く環境にも確かな変化が訪れています。
ここ数年は夜に気温が下がらないんです。たとえば夜が暑いと、受精やでんぷんの貯蓄がうまくいかず、“白穂(しらほ)”と呼ばれる中身のない籾になってしまうことがあるんですよ。
大石さんも、自身が経営する動物病院の前で行ったプランター栽培の経験を話してくれました。
5つほどプランターで育ててみたんですが、花は咲いても実が入らなかったんです。去年、一昨年あたりから、熟すまでいかなくなってきていて……。毎日水をあげても育たないとなると、この地域でお米を育てるのが難しくなっているのかもしれません。
気候の変化は、プロの農家でさえ戸惑うほどだといいます。
私は趣味で畑を借りて野菜も育てていますが、今年は例年のサイクルがまったく通用しませんでした。種まきの時期をずらさないと育たないこともあって……。農家の方でも苦労していると聞きます。
それでも、みんなの心は折れません。
土地との相性や気候の変化を見ながら、栽培の規模や場所を調整し、赤米を絶やさない工夫を続けています。
本業の農家ではない私たちにできるのは、できる範囲でいろいろなやり方を試していくこと。どこまで続けられるのか不安もありますが、少しずつ工夫しながら続けていきたいです。
自然のリズムに寄り添いながら、できることを続けていく。 その諦めない姿勢と柔軟さは、赤米のいのちをつなぐいまの時代の農のかたちのひとつなのかもしれません。
未来へつなぐ赤米

国分寺赤米プロジェクトの活動は、次の世代へも少しずつ広がっています。
地域のいくつかの小学校では、総合学習の時間に子どもたちがバケツ稲に挑戦し、赤米の成長を見守っています。
お米を食べるだけじゃなくて、育てるところから関わることで、子どもたちの表情が変わるんです。ほんの一粒でも、自分で育てたお米を食べたときの感動は、きっと心に残ると思います。
そんな活動の広がりは、地域外にも少しずつ波及しています。
「赤米を育ててみたい」とお問い合わせをいただくことが増えましたね。Facebookに開いているグループでは、成長過程を写真つきで共有してくださる方がいたり、情報交換をされたり。そうやって少しずつ輪が広がっているのがうれしいです。
赤米を通して、メンバーそれぞれがこれからの農業についても考えるようになったといいます。
赤米って、昔の品種というだけじゃなくて、これからを考えるうえでも大事な存在だと思うんです。スーパーでは一年中買える野菜も多い昨今、今の気候の中で植物がどう育つかを知ることも、すごく意味があると思います。
年々気候が変化するなかで、前澤さんは自然と向き合い続ける力を信じています。
これから先、赤米だけでなく何かを育てること自体がもっと難しくなっていくかもしれません。でも、だからこそ、自然の声に耳を傾けながら試行錯誤していくことが大事なのかなと思っています。
そして大石さんは、活動そのものが文化になりつつあると語ります。
続けること自体が、地域の文化になってきている気がします。子どもたちにお米を育てるという経験を残していけたらうれしいですね。
偶然と強い想いとが重なって始まった赤米づくりは、いまも、まちの人々とともに息づいています。
その一粒一粒が、過去から未来へ。そして、これからの食卓へと、静かに受け継がれていくでしょう。
国分寺赤米プロジェクトについて
「国分寺赤米プロジェクト」は、東京都国分寺市を拠点に、在来種「武蔵国分寺種赤米」をできるだけ自然と一体となるような方法で育てながら、地域とつながる機会も大切に活動を続けています。
古代から受け継がれてきた赤米の種を未来につなぐため、田畑での栽培だけでなく、学校や市民との交流、バケツ稲用の種籾販売など、さまざまな形で“お米と暮らし”の関わりを伝えています。
活動の様子や最新情報は、公式ホームページとSNSで発信されています。 まちの中で息づくお米のいのちを、ぜひのぞいてみてください。
国分寺赤米プロジェクト Webサイト
https://akagome.tokyo/
facebook: https://www.facebook.com/akagome.tokyo
Instagram: https://www.instagram.com/akagome.tokyo/
X: https://x.com/akagome_tokyo
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国分寺で赤米を発見したのは、民俗学者の長沢利明さん。地元の農家の方が陸稲(おかぼ/水田ではなく畑で育てる稲)を育てていた畑の中で、偶然見つけたそうです。いまはもう畑が無くて、その場所にはマンションが建っています。