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食卓は、遊びの広場だ──。
父から受け継いだ“おいしい”へのこだわり

伊賀焼窯元 長谷園

三重県

火加減の調整いらずの土鍋『かまどさん』を代表に、三重県の伊賀焼の土鍋を中心としたものづくりを行う老舗窯元『長谷園』。「とにかく、まずは伊賀焼の土鍋で炊いたごはんを食べてみてほしい」──。言葉で伝えるよりも、実際に食べてそのおいしさを感じてみることで伊賀焼の魅力が伝わるはず。そんな想いからお店には広々とした台所があり、料理教室やワークショップなども開催されています。

食卓は、遊びの広場だ──。
父から受け継いだ“おいしい”へのこだわり
『伊賀焼窯元 長谷園』東京店店長・長谷伊佐子さん

火加減の調整いらずの土鍋『かまどさん』を代表に、三重県の伊賀焼の土鍋を中心としたものづくりを行う老舗窯元『長谷園』。その歴史は天保3年にまで遡ります。

400万年前に生息していた生物や植物の遺骸が多く含まれる地層から算出される伊賀の陶土は、“呼吸をする土”と言われるほどの細かな気孔を持ち、食材の旨みを引き出します。

「とにかく、まずは伊賀焼の土鍋で炊いたごはんを食べてみてほしい」──。

その想いを真っ直ぐに伝えてくれたのは、東京店『igamono』の店長を務める長谷伊佐子さん。言葉で伝えるよりも、実際に食べてそのおいしさを感じてみることで伊賀焼の魅力が伝わるはず。そんな想いからお店には広々とした台所があり、料理教室やワークショップなども開催されています。

ソラミドごはんでは、そんな『長谷園』の商品をお取り扱い中。
今回は『長谷園』のものづくりへのこだわりや想い、そして代々長谷家で受け継がれてきた“おいしい食卓”の原風景について、お話を伺いました。

お客さんと窯元をつなぐ東京店『igamono』

途方もなく長い歴史を刻んできた『長谷園』の現社長を務めるのは8代目の長谷康弘さん。20221年に他界した7代目の父・長谷優磁さんの想いを引き継ぎ、その子どもたちである4人の兄弟がそれぞれ得意をいかし『長谷園』を営んでいます。

「もともと4人全員とも違う仕事をしていたんですが、1人戻り、2人戻り、あれよあれよと兄弟全員が家業に関わるようになりました」 小売業良品計画に勤め店舗営業の仕事をしていた伊佐子さんは、2004年に『長谷園』初めての東京店舗をオープンすることをきっかけに家業に戻ることとなりました。窯元と本店がある三重県・伊賀市は、決してアクセスが良いとはいえない山の奥。「お客さんに伊賀焼の魅力を直接伝えていきたい」そんな父・優磁さんの想いを叶える形で、店舗経営の経験を持つ伊佐子さんが店長を務めることとなったのです。

「当時は、まだまだ伊賀焼が知られていなくて、別の名前で売られているなんてこともしょっちゅうだったんです。もう少しお客さんと近い距離で伊賀焼のことを伝えていく必要があると感じていました。いまでは東京店でいただいた声が商品改良や新商品の開発につながるなど、お客さんと窯元を結ぶ拠点となっています」

はじまりはいつも食卓から

「もともと家業に戻るつもりはなかった」という伊佐子さん。一度は兄弟全員が別の仕事に就いていたにもかかわらず、1人ずつ戻ってくることになった背景には、長谷家に根づく“おいしい食卓”の原風景があるようです。

呑飲兵衛で食いしん坊だったという父・優磁さんは、おいしいものをみんなと分かち合いたい気持ちが人一倍強く、毎日のようにお客さんを食卓に招いていたそう。

「言ってしまえば、知らない酔っ払いのおじさんと一緒にごはんを食べるのが当たり前のような家でした(笑)母は大変だったと思いますが、いつも賑やかでしたね」

お店の台所横には「食卓は、遊びの広場だ」というお父様の言葉が飾られています。食卓を囲んで食べることで、人と人の絆が深まっていく──。食卓から始まる豊かな時間が、大人になった4人の兄弟を『長谷園』に引き戻したようです。

「いまでもお取引先様を食事に招くことを大切にしています。食卓を囲むというのは、1人ひとりと顔を付き合わせることでもありますから、仲良くなるにはやっぱりおいしいごはんを一緒に食べるのが一番ですよね」

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10年もの試行錯誤を経て誕生した『かまどさん』

食へのこだわりが人一倍強かった父・優磁さんは、とある京都の料理屋で食べた、かまど炊きごはんのおいしさが忘れられず、当時の工場長・佐藤和彦さんと共に土鍋の開発をスタート。家のガスコンロでも、まるでかまど炊きしたようなふっくらごはんに炊き上がる土鍋を目指しました。

土鍋で炊くごはんは、吹きこぼれに注意を払いながら火加減するのが一般的です。しかし、「どんな人が作ってもおいしく炊き上がるように」という願いから、火加減の調整がいらない土鍋『かまどさん』を誕生させました。

阪神淡路大震災の影響で建装タイルの需要がなくなり、当時の経営状況がは芳しくなかったところ、この『かまどさん』が大ヒット商品となり、『長谷園』の歴史は幕を下ろすことなく現在までつづいてきたのです。 「内蓋の重さや鍋全体の厚み、丸い形状など、そのすべてが緻密に計算されています。試作して、食べてもらって意見をもらい、また試作をして。三歩進んで二歩下がるを繰り返しながら、2人が10年かけて作り上げた力作なんです」

作り手は、真の使い手であれ

「こんなに素晴らしい土鍋が誕生したなら、もっと世に広める努力をしないと」と現在8代目の康弘〜〜さんがバトンを引き継ぎました。そのやり方は、やはり長谷家お得意の「食卓にお客さんを招くこと」から始まりました。

「いつも親しくさせてもらっているお料理の先生や物書きの先生たちをお招きして、『かまどさん』で炊いたごはんを実際に食べていただきました。最初はこんなに重たい土鍋が売れるわけないでしょうと言っていた方も、『おいしい、おいしい』と食べてくれて。そうやって『かまどさん』の普及に協力してくれる人が増えていったんです」

「食卓は、遊びの広場だ」という言葉の他に、もう1つ父・優磁さんから伝えられてきたものに「作り手は真の使い手であれ」という言葉があります。

実際に使って、そのおいしさを体感することで初めて、心のそこから伊賀焼の魅力を伝えることができる。もともと一人暮らしでは土鍋を使っていなかったという伊佐子さんも、いまでは毎日土鍋でごはんを炊いているそう。作り手、伝え手自身が一番の使い手であること。そのことが言葉に重みを生み、『長谷園』が真っ直ぐ、そして誠実なメーカーであることを強く印象づけています。

伝統とその時代の台所に合わせたものづくり

ソラミドごはんで取り扱いをさせていただいている商品は、先述した土鍋『かまどさん』と『陶珍』『陶珍おひつ碗』『伊賀粉引 飯碗』の4つ。

『陶珍』は、その名の通り「陶器でチン」できる優れもの。土鍋で炊いたごはんを冷凍庫や冷蔵庫で保存する方が多いなか、「レンジでチンするとごはんが硬くなったり、温度にムラができておいしさが半減してしまう」というお客さんからの声をもとに、一度冷めても冷やしてもまた炊き立てのようにおいしいごはんが食べられる『陶珍』が誕生しました。

使い方はとても簡単。冷蔵の場合は蓋のみ、冷凍の場合は全体を水に潜らせ、ごはんを『陶珍』に入れて電子レンジで加熱します。伊賀焼の粗土が吸った水分が浸透しながら温められるため、ふっくらとしたごはんになるのです。

「ちなみに『陶珍おひつ碗』は、レンジにかけてそのままお茶碗として食卓に出せるようなデザイン大きさにしています。『かまどさん』で炊いたごはんを冷蔵・冷凍してもおいしくいただきたいという声に応え答えたのが『陶珍』で、お茶碗に移し替えずそのまま食べれたら楽なのにという声に答えたのが『陶珍おひつ碗』。そして、伊賀焼の特徴をいかしたシンプルな茶碗が『伊賀粉引 飯碗』。いかにお客さんの声に答えて開発してきたかがわかりやすい4点かと思います(笑)」 伊賀焼の伝統をは守りつつも、お客さんのライフスタイルやその時代の台所に合わせて新しい商品を生み出していく。それが『長谷園』というメーカーのおもしろさ。東京店でもそんな個性あふれる多種多様な伊賀焼を手に取ることができます。

見えてきた、次の世代

最後に『長谷園』の今後の未来について聞いてみると、「実はもう次の世代が見えてきているんですよ」とうれしそうな表情で伊佐子さんは答えてくれました。8代目の康弘〜〜さんの娘さんが9代目として共に働きはじめたのだそう。食卓の原風景がまた次の世代へ引き継がれていこうとしています。

「やっぱり、伊賀焼を手にとっていただき、“ごはんがおいしい”と感想を寄せてもらえることが、私たちの何よりの喜びです。この喜びを共有できる仲間がまた次の世代にできたことは、本当にうれしいことですよね」

今後は伊賀焼が持つ歴史をより深くお客さんに知ってもらえるように、三重県の窯元でのイベント開催など、お客さんと作り手が交流できるような機会を検討中なのだとか。

天保3年という、想像もできないくらい遥か昔の時代から、長く時を刻んできた『長谷園』。その中心にはいつも食卓があり、おいしいごはんがある。きっと、その原風景は変わらずこの先もつづいていくことでしょう。

取材・執筆:佐藤伶
編集:貝津美里
写真:佐藤伶