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子どもに食べさせたいお米を。平尾台の水と土が育む、やさしいお米

米貴

福岡県直方市

福岡県北東部、平尾台の麓。良質な水と肥沃な粘土質の土、昼夜の寒暖差に恵まれたこの土地で、代々お米づくりを続けてきたのが『米貴』です。「子どもに食べさせたいと思えるお米」を大切に、有機肥料を使い、栽培期間中は農薬を使用せず、自然と稲そのものの力を生かしたお米づくりに取り組んでいます。

米貴さんの商品一覧

母親だからこそ子どもに食べさせたいお米を。お母さんたちの助けになるものを。『米貴』生産者・山本貴絵さん

日本三大カルストの一つに数えられる、福岡県北東部の平尾台。羊の群れのように石灰岩が連なる台地の麓には、冷たく良質な水が流れ込み、粘土質の土壌と昼夜の寒暖差にも恵まれた田んぼが広がります。

この地で、長年にわたってお米作りを続けているのが「米貴」です。現在は山本貴絵さんが中心となり、夫とともに「子どもに食べさせたいと思えるお米」を育てています。

有機肥料を使い、栽培期間中は農薬を使用せず、収穫後には玄米の状態で残留農薬検査を実施。さらに、稲にはあえて手をかけすぎず、平尾台の自然と稲そのものが持つ力を生かしながら、お米作りに向き合っています。

父から受け継いだ田んぼを守りながら、母親としての視点と新しい発想を重ねてきたこれまで。そんな山本さんに、お米作りへの思いと、平尾台の土地を生かした栽培のこだわり、そして次の世代へつなぐ農業の姿についてじっくりお聞きしました。

父への尊敬を胸に、30歳で始めたお米作り

「農家になったのは、父の思いを継ぎたかったからですかね。おそらく、それが一番。でも、いまだに父には敵いません」

十数年前には想像もしなかった自分の姿を振り返りながら、そう話す山本貴絵さん。祖父母の代から続く農家を受け継ぎ、夫とともにお米作りに汗を流しています。

幼い頃から、山本さんにとって祖父や父がお米を作る姿は身近なものでした。なかでも父は、地域でも一目置かれるほどの働き者だったといいます。

「そんな父が誇らしくて、すごいなと尊敬していました」

今はお米作りに邁進する山本さんですが、20代の頃には会社員として働き、自分が農家になる未来を思い描いていたわけではなかったとか。

転機になったのは、家業の要であった父の病気。癌が見つかり、発見された時にはすでに末期だったといいます。

「継いでほしいと言われたわけではないんですよ。父は、女はそんなことはせんでいい、って思っていたようですし。でも、継いでほしいんだろうな、という気持ちはなんとなく伝わってきました。だから、『私がやるよ』って」

とはいえ、父との限られた時間のなかで、教わったことはほんのわずか。それでも、誰よりも尊敬していた父が守り続けてきた田んぼを、自分の代で途切れさせたくない  その思いが、山本さんを農業へと向かわせました。

ですが、実際にスタートしてみると、待っていたのは父の背中を追う穏やかな日々ばかりではありませんでした。父が元気だった頃に親しくしてくれていた人たちの中には、手のひらを返すように態度を変える人もいたそうです。

「『若い者が米作りなんかできるわけない』という雰囲気もありましたね。しかも、隣町から通っていましたので、農家として認めてもらってないのかもと感じていました」

それでも山本さんがお米作りを諦めなかったのは、やはり父の意志を受け継ぎたいという思いがあったから。一緒に歩んでくれる夫の存在も大きかったようです。

「正直にいえば、仕方なく始めた、という部分もあるんですよ。

でも、実際にやってみると農業って案外楽しいんです。『ああ、父の子なんだな』と思いましたね」

それまで外から見ていた父の仕事を、自分の手でやってみる。田んぼに入り、稲の成長をつぶさに観察し、収穫を迎える。経験を重ねるうちに、父が注いでいたお米作りへの情熱を少しずつ理解した山本さんは、次第に、自身がめざすお米作りの姿を思い描くようになります。

その大きなきっかけとなったのが、“母親”になったことでした。

「子どもに食べさせたい」という基準

「最初の頃は、一年を通してお米を育てて、無事に収穫することだけで精いっぱいでした。でも、母親になったことで、子どもにどんなお米を食べさせたいか、と考えるようになったんです」

効率を求めれば、農薬や化学肥料を多用し大量生産に舵を切ったほうがいい。それでも、自分の子どもが毎日お米を口にする様子を思い描いたとき、山本さんの中で確かな基準が生まれました。

子どもに食べさせたいお米を作る  芽生えたその感覚が、今の米貴のお米作りの軸となっています。

有機肥料を使い、栽培期間中は農薬を使用せずに育てる。さらに、新米ができると玄米の状態で残留農薬検査を行う。“残留農薬300項目一斉分析において、農薬は全く検出されず”という検査結果は、農家として、また母親としての揺るぎない信念の証です。

「お客様に『おいしい』って言ってもらえることが、なによりもうれしいんです。『ほかのお米が食べられなくなったよ』と楽しみに待ってくれる方もいて、私の譲れないこだわりです」

家族のために選ぶものだからこそ、安心安全であることはもちろん、毎日の食卓で「おいしい」と思えることも大切にしたい。山本さんにとって、その二つは別々のものではありません。作り手としてだけではなく、受け取り手として素直な感覚が、米貴のお米作りを支えています。

さらに、母親という立場は、お米を加工した商品作りにも反映されています。それが、ソラミドごはんでもお取り扱い中の「ゼロ秒ごはん 米粉の笑笑(クスクス)」。お湯を注ぐだけで離乳食にもなる商品です。

「子育てって、時間にも心にも余裕がなくなるときがあるんです。それでも、子どもには安全なものを食べさせたい。そんな気持ちが理解できるからこそ、お母さんたちの助けになればと思っています」

父から受け継いだお米作りは、いまや、山本さん自身の価値観を映したお米作りへと変化しています。その基準は特別な誰かのためのものではなく、家族の食事を考えるすべての人たちに向けられています。

平尾台の恵みを生かした、手をかけすぎないお米作り

米貴の田んぼが広がるのは、福岡県の北東に位置する「平尾台」の麓。日本三大カルストの一つである平尾台は、石灰岩が連なる地形が生み出す良質な水に恵まれています。

石灰岩で自然濾過されたその水はミネラル分を豊富に含み、田んぼに足を踏み入れたら抜くのに一苦労というほど、肥沃な粘土質の土ももたらします。さらに、山間部特有の昼夜の寒暖差は、お米業者からも一目置かれるほど味わい深いお米を育みます。

「小さい頃、祖父から『ここは水と土がいいから、いいお米が育つよ』って教えてもらった記憶があります。この環境がおいしさの源です」

恵まれた環境だからこそ大切にしていることがある、と山本さんは続けます。

「強い稲を育てるために、手をかけすぎないんです。子育てと一緒で、大事にしすぎるとひ弱になってしまう。放任主義も必要ということです。

だから、お米作りって神経質な人には向いてません。ある程度は『大丈夫なんじゃない』って思えるぐらいの方がいいんですよ」

意外な言葉の裏にあるのは、お米の育ちを信じる眼差しと、豊かな環境への信頼です。

ただ、これまでの日々には、稲を食べ尽くしてしまうジャンボタニシの被害をはじめ、暑さが増す一方の気候変動など、対処しなければならない数々の問題にも直面してきたといいます。

「私は暑さに強いほうなんですが、稲はそうはいきません。田んぼの水がお湯になってしまわないように常に水を引き込んだりと、その都度対策も欠かせません。

品種にしてもそう。変化する気候でもおいしく育つお米を見極めながら、試行錯誤を続けるしかありませんね」

今の方法が正解だと決めるのではなく、変化し続ける状況にあわせ、よりよい方法を試していく。山本さんの姿勢からは、稲を見守り、自分のやり方そのものを変えていく柔軟さも感じます。

さらに収穫後も、おいしさを保つための工夫は続きます。

「お米は水分が抜けていくと、味が落ちてしまいます。それを防ぐために、稲刈り後の籾すりを一度で終わらせるのではなく、年間を通して数回に分けて行っているんです。もちろん、精米は注文が入ってからです」

お米本来のおいしさをできるだけ維持し、食べる人へ届けたい。そんな山本さんが、特に楽しみにしているのが新米の季節です。

「農家のいいところは、誰よりも早く新米を食べられることですね。まずは、父に供えてからいただきます。このおいしさを味わいたいから農家を続けている、と言ってもいいほどです」

そう話す山本さんが、田んぼを受け継ぎ17年。完成した一つの型を守るのではなく、試し、考えながら、“よりおいしい”をめざしたお米作りは、常に更新され続けています。

お米の新たな価値とは?米貴らしさを次の世代へ

気候変動や米価の変動など、農家にとってお米作りを継続する難しさは増すばかりです。それでも山本さんは、この状況を前に新たな挑戦にも目を向けています。

「ここまでいろんな影響を受けると、大きな農家でない限り、経営を続けていくのは簡単ではありません。だからこそ、私たちのような小さな農家は、ほかにはないような発想が必要だと思うんです。

『ゼロ秒ごはん 米粉の笑笑(クスクス)』もそのひとつ。お米は決して炊いて食べるだけのものじゃない。私たちならではの発想を形にしていくことも、お米の新たな価値を生み出すために大切なことだと思っています」

特別感が伝わる金色の米袋や、お米を小分けにして花束のように仕立てた「ライスアレンジメント」なども、その思いから生まれたもの。

おいしいお米を作ることはもちろん、その魅力をどう伝えるか、どんな形なら今の暮らしの中で手に取ってもらえるか。そう考える背景には、お米農家を続けてきたからこそ見えてきた現実があるようです。

「これだけ多くの銘柄があるなかで、私たちのお米を選んでいただくには、ほかにはない個性が大事。それは、お米の価値を次の世代に残していくためにも必要なことだと思っています。

もちろん、お客様に喜ばれる安心安全なお米を作り続けるという信念は変わりません。それが、父の思いを継ぐことだと思っていますから」

そんな山本さんの姿勢は、小学生になった娘さんにも届いているようです。

「将来の夢は?って聞いたら、『お米屋さんになること』って。お米農家ってそんなに儲からないので、本心では継がせたくないっていう気持ちもあるんですけどね。でも、やっぱり嬉しいものです」

そう笑いながらも、お米作りを“夢”で終わらせないよう、将来への土台作りに力を注ぎたいと話す山本さん。表情から伝わってくるのは、父から受け継いだ農家としての誇りと、お米の価値を未来につなぎたいと願う挑戦者としての強さです。

取材・執筆:福島和加子